マーフィーを読んでて感じた事(感想文みたい)

電車の中にて

客先への移動手段は主に電車です。大阪から奈良まで近鉄に乗って行ったりすると、その移動時間は結構長いんです。大体寝ているんですが、先日購入したマーフィーの本を読んでいました。先日も書いたのですが、この本、第一印象的にはあまりよろしくありませんでした。冒頭で「あなたに生まれながらにして与えられた当然の権利」だとか、解決法は静かな落ち着ける場所で瞑想して「祈りなさい」とか書いてあったので、なんか宗教くさいなという印象だったのです。
しかしそれも読んでいると次第に慣れてきます。要するに日本人的には「願うのです」とか「偉大な力はあなたの中にあります」とかなると、こっ恥ずかしい感じがしてなかなか実践できません。しかし、欧米人にとってはそんなに敷居が高くない。基本、キリスト教徒だから「祈り」という言葉に抵抗はないでしょうし、考え方が真面目なのでいろんな事に取り組むのはハードル低いですよね。それも私の勝手な先入観かも知れませんが。
んで、そう考えると「あぁ、普通に読めるな」となります。日本人的には「祈り」よりも「拝み」なのかな?とか、結局は自分に自身を持ちましょうと言っているように感じてきます。捉え方次第なのでしょうね。

お金はきれい?きたない?

この本はざっくり乱暴に言うと「お金持ちになる為の本」みたいなつもりで買って読んでました。しかし、内容の一部はちょっと違うように感じた部分があります。
ある人の例で、「お金は汚い。嫌いである」人の対処法みたいな項目があります。マーフィーに関する記述は「お金を好きになる」だから真反対の考え方ですよね。その人の言い分は「お金があることで人は醜くも汚い考え方にもなってしまう。だから諸悪の根源である」・・・まぁ一理あるなと私は思いました。これに対してのマーフィーの弁論は「では、あなたは銅の塊を汚いと思いますか。鉄の塊に関しては?金はどうでしょう?」「それは別です。」「ですよね。その違いはなんです?素粒子の数と配列に過ぎないのです。百ドル札は何の害もない紙切れです。それに力と重要性を与え、良いものにしたり、悪いものにしたりしているのは私たちの考えなんですよ」
これには感銘を打たれました。まさか素粒子の配列に過ぎないと論じてくるとは!

では、人が生きる存在意義とは?

そういうことで、マーフィーはお金があることが全てではない。考えるのはもっと万物の根源というか。自分の考え方というか。自分自身なのである。と言っているように感じました。では、私は何のためにこのブログを書いているのだろう?小金を稼ぐ為でした。それは意味のないこと?考え方を変えるだけで、こんなことは意味ないの?てゆうかじゃあ何のために仕事をするのか?と電車の中で深く考え込んでいました。
そういえば私は常々「幸いにも私は好きなことが仕事に繋がった幸せな人間だ」と思っていました。だからあまり仕事を苦と感じないと。しかし、最近はそんな仕事も苦と感じることがある。それは根底が緩いできてるのか?
なにか考え方を見直す必要があるような気がしてきました。ブログだって、当初は「人に色々な情報を共有して役に立って貰いたい」という気持ちがありました。実は大義名分だったものが本来の意義だったのか?
考えさせられます。
この件、またご報告します。本もまだ途中までしか読んでないし。。。長くなってきたので教はこの辺にしておきます。

本日の画像(写真を整理していたら懐かしい写真が出てきました。38~40年ぐらい前の私。引いてるのは兄)

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